ゆとり世代、そして縮小 〜消費の時代①〜
私はもうすぐ25歳になります。いわゆる「ゆとり世代」です。
「だから、ゆとりは・・・」“大人”たちは何かにかこつけて、若者を非難します。ホウ・レン・ソウができない、敬語を知らない、飲み会に来ない、などなど。
人々の価値観や文化は世代(20年〜30年)毎に変わると言われています。だから、“大人”たちの常識がゆとり世代に通じないのは当たり前なのです。バブル崩壊後の40〜50歳の価値観とバブルを経験した団塊の世代の価値観も違うし、団塊の世代も学生闘争で既存の価値観にしっかり反発していました。“大人”たちがゆとり世代を非難するのは社会の移り変わりの中ではありふれたことです。
歴史は繰り返す。一件落着、のようですが、そんなことはございません。というのも、ゆとり世代が「消費世代」だからです。消費世代といってもたくさん消費するわけではありません。毎月振り込まれるお金で生活をやりくりして、税金を払って、将来のために貯金してという感じで、私たちの使える遊興費は微々たるものです。問題は、その微々たる資金に対し供給される商品やサービスが多すぎることです。次々と新商品が発売され、店頭で似たような商品が似たような価格で販売されています。家の中でもネットでのお買い物を促します。私たちは必要以上に消費をせまられることに、余暇を消費活動に充てることに慣らされた世代なのです。「仕事で頑張ったアナタは、その疲れを癒やすために、キラキラ買い物をして、至福のサービスを受けましょう\(^▽^)/」
本来、消費と生産は所属する社会の中で循環しているはずです。今の社会では消費と生産が分業化され循環の様子が見えません。小さい頃から消費の感覚のみ植えつけられ、いかに的確に消費したかが評価されます。消費して終わり。代償の生産の意識は培われません。例えば仕事、「仕事は生活費を稼ぐため。割り切っています。楽しみは休みの日に友人とオシャレなお店での食事とエステ。週末が待ち遠しいです!」って…生きる楽しみ=消費。そんな人達の正論を無碍に非難することもできません。私ももれなく「消費世代」の一員なわけですし。。。
人々の生産意識が過多から減少に向かっているのは、大きくなったり小さくなったりする波の極小へ向かっているということでしょうか。自然な流れとしては、消費に追随して生産も下降していきます。しかし、日本の社会は人々の生産と消費が極小へ向かうことを許しません。企業は新しいモノを大量に効率よく生み出すことで利益をあげています。メディアもこぞって新しい情報を生み出し人々にモノと情報の消費を促しています。
これから変わらなくてはいけないのは社会なのでしょうか、個人なのでしょうか。それとも・・・
今後、数回に渡って「消費」をキーワードに自らの体験を混じえて書かせていただきます。どうぞお付き合いくださいませ。